日本語と日本文化


猫の事務所:宮沢賢治の童話を読む


宮沢賢治の童話「猫の事務所」は、いじめをテーマにしている。賢治は猫の間でのいじめを隠喩として描くことで、人間社会のもろさとおろかさ、そして悲しさをあぶりだそうとしたのだと考えられる。

人間の集団というものは必ずしもいじめの現象を必然的な要素として抱え込んでいるわけではない。だがいじめはちょっとしたきっかけで表面化しやすい側面ももっている。とりわけ集団のなかに、他の成員とは違った身体的特徴をもったもの、集団の持っているリズムとあわないもの、あるいは集団の多くの成員と異なった価値観をもったものがいるときなどに、いじめは発生しやすい。

いじめにあうもののことを、文化人類学ではスケープゴートと呼ぶ場合がある。スケープゴートは、憎しみといじめの対象になることによって、集団のほかの成員の団結を強化したり、したがって集団を一定の状態で安定化させる効用がある。集団はそのなかから異物を排斥することによって、自らのアイデンティティを確認するというメカニズムが働くわけである。

いじめというものを賢治は許すことができなかった、この童話はそんな賢治の姿勢が伺える作品である。

賢治自身は、露骨ないじめは体験したことはなかったようだが、しかしある種の疎外感に終生悩んでいたらしいことはたしかだ。その疎外感は自分の両親との確執に始まり、豊かな両親から生まれた自分が貧しい農民たちから常に羨望と排斥の視線で見られていたという事実と関連がある。

賢治は自分が抱いていたこうした疎外感を、「風の又三郎」の中でひとつの形に結晶させて見せた。そこで描かれた又三郎の孤独な疎外感は、裏を返せばいじめのネガティヴな面といえなくもない。

この物語は、何故いじめが表面化したかについての説明から始まり、それを集団が内部的に解決できずに泥沼化していき、ついには救いがたい状態に発展したこと、したがってそれをやめさせるためには、外部の力によるしかなかったということ、しかも集団そのものの消滅というドラスティックな方法がとられざるを得なかったという事情が、時系列的に述べられていく。

集団の名は、猫の第六事務所といった。猫のためにさまざまな有益な情報を提供する機関である。そこには黒猫の事務長を頭にして、四匹の猫の書記が働いていた。いじめはかま猫とよばれる猫と、他の猫との対立を中心にして展開する。何故かま猫がいじめの対象となったか、賢治は次のように説明する。

<竃猫といふのは、これは生れ付きではありません。生れ付きは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはひつてねむる癖があるために、いつでもからだが煤(すす)できたなく、殊に鼻と耳にはまつくろにすみがついて、何だか狸(たぬき)のやうな猫のことを云(い)ふのです。
 ですからかま猫はほかの猫には嫌はれます。
 けれどもこの事務所では、何せ事務長が黒猫なもんですから、このかま猫も、あたり前ならいくら勉強ができても、とても書記なんかになれない筈(はず)のを、四十人の中からえらびだされたのです。>

かま猫は身体的な特長によって、まず仲間の猫から異分子と受け止められたということになっている。だがかま猫はすすでよごれたとはいえ色が黒いことを通じて、事務長の黒猫から何かにつけてひいきにされていたのであった。

そんなかま猫を、ほかの三匹の猫はなにかにつけて敵視し、機会あらば追放しようとする。かれらがそうするのは、かま猫が自分たちとは違った種類の猫であり、したがって仲間としては受け入れられないというのが理由のひとつであるが、かま猫の分担している事務が魅力のあるものであり、かま猫を排除することによって、自分たちがそれを出来るようになりたいと願う気持ちも働いていた。

最初の事件は、虎猫の弁当をめぐって起こった。虎猫は弁当を食べようとして急にあくびに襲われ、その拍子に弁当を床に落としてしまった。かま猫は机のこちら側から弁当を拾おうとするがなかなか拾えない。そこでかま猫が弁当をひろってやると、虎猫は突然怒り出す。

「何だい。君は僕にこの弁当を喰べろといふのかい。机から床の上へ落ちた弁当を君は僕に喰へといふのかい。」
「いいえ、あなたが拾はうとなさるもんですから、拾つてあげただけでございます。」
「いつ僕が拾はうとしたんだ。うん。僕はただそれが事務長さんの前に落ちてあんまり失礼なもんだから、僕の机の下へ押し込まうと思つたんだ。」
「さうですか。私はまた、あんまり弁当があつちこつち動くもんですから............」
「何だと失敬な。決闘を.........」
「ジヤラジヤラジヤラジヤラン。」事務長が高くどなりました。これは決闘をしろと云つてしまはせない為(ため)に、わざと邪魔をしたのです。
「いや、喧嘩(けんくわ)するのはよしたまへ。かま猫君も虎猫君に喰べさせようといふんで拾つたんぢやなからう。それから今朝云ふのを忘れたが虎猫君は月給が十銭あがつたよ。」
 虎猫は、はじめは恐(こは)い顔をしてそれでも頭を下げて聴いてゐましたが、たうとう、よろこんで笑ひ出しました。
「どうもおさわがせいたしましてお申しわけございません。」それからとなりのかま猫をじろつと見て腰掛けました。
 みなさんぼくはかま猫に同情します。

虎猫がかま猫に対して因縁を吹っかけているのは明らかだ。だがこの時は事務長が助け舟を出す。そのさいに「ジヤラジヤラジヤラジヤラン」と、不思議な掛け声を出すのは、事態が理屈で割り切れるものではないことを、事務長自身知っているからである。つまり猫の間のいじめは、内部からの力では、そう簡単には解決できないということを、物語っている。

ついで三毛猫もつまらないことを理由にしてかま猫をいじめる。だがそのときも事務長がかばってくれた。

<こんな工合(ぐあひ)ですからかま猫はじつにつらいのでした。
 かま猫はあたりまへの猫にならうと何べん窓の外にねて見ましたが、どうしても夜中に寒くてくしやみが出てたまらないので、やつぱり仕方なく竈(かまど)のなかに入るのでした。
 なぜそんなに寒くなるかといふのに皮がうすいためで、なぜ皮が薄いかといふのに、それは土用に生れたからです。やつぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、かま猫は考へて、なみだをまん円な眼一杯にためました。
 けれども事務長さんがあんなに親切にして下さる、それにかま猫仲間のみんながあんなに僕の事務所に居るのを名誉に思つてよろこぶのだ、どんなにつらくてもぼくはやめないぞ、きつとこらへるぞと、かま猫は泣きながら、にぎりこぶしを握りました。>

かま猫は自分が仲間から嫌われるのは、色が黒くて汚いからであり、それはかまどの中で寝るのが原因だからと、外で寝ようと努めるが、余りに寒いのでやはりかまどの中で寝てしまう。だからいじめられるのは自分がだらしないせいなんだと、改めて自分自身を責める、ひとつだけ幸いなことは、そんな自分を事務長がかばってくれることだ。

だが事務長もあてにならなくなる。かま猫が病気になって事務所を休んでいる間に、ほかの猫たちがかま猫の悪口を散々事務長にたらしこみ、挙句の果ては、かま猫が事務長を追い落として、自分自身が事務長になろうと狙っているなどという。これをきいた事務長は俄然、かま猫に敵対的な行動をとるようになるのである。

病気がなおって事務所に出勤してきたかま猫を待っていたのは、事務長を含め事務所一丸となったいじめだった。かま猫は完全に無視され、自分の仕事道具も取り上げられて、身を置く場所もないほど孤立しているのを感じた。

いじめの本質は集団から排除することにあるから、身体的に暴力を加えるだけでなく、存在を無視するという方法もとられる。むしろそのほうがいじめとしては強烈な効果を持つものなのだ。

<たうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。
 それでもみんなはそんなこと、一向知らないといふやうに面白さうに仕事をしてゐました。>

いじめの残酷さがよく現れている場面だ。集団の成員たちはみな楽しそうにしているのに、自分だけが仲間はずれにされて呆然と立っているほかはない。いじめられた経験のない人でも、こうした場面でいじめられるものが感じる孤立感と疎外感は感情移入できるに違いない。

ここで事態は急展開し、一気に結末がやってくる。

<その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向ふにいかめしい獅子(しし)の金いろの頭が見えました。
 獅子は不審さうに、しばらく中を見てゐましたが、いきなり戸口を叩(たた)いてはひつて来ました。猫どもの愕(おど)ろきやうといつたらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまはるだけです。かま猫だけが泣くのをやめて、まつすぐに立ちました。
 獅子が大きなしつかりした声で云ひました。
「お前たちは何をしてゐるか。そんなことで地理も歴史も要(い)つたはなしでない。やめてしまへ。えい。解散を命ずる」
 かうして事務所は廃止になりました。
 ぼくは半分獅子に同感です。>

獅子が事務所の高級機関だということはあきらかだ。それが何故事務所のいじめを聞きつけたか、ここではわからないが、ただいじめをやめさせるためには解散させるしかないと感じたのだろう、強制的に解散を命じる。

そして語り手はこの結末に対して、「ぼくは半分獅子に同感です」という。いじめをやめさせるために獅子の取った処置は適切だと思うとともに、できうれば集団の成員自らがいじめの問題を解決して欲しかったという思いも働いているのだろう。


    

  
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