日本語と日本文化


ドリームランドとしてのイーハトーブ:宮沢賢治の童話的世界


宮沢賢治は、生前に出版した唯一の童話集「注文の多い料理店」に、「イーハトーブ童話」という副題を付した。それ以来、賢治のさまざまな童話は、イーハトーブの名に結びついてひとびとの心を癒し続けた。また賢治自身、生涯を「イーハトーブ」の世界に生きたといって過言ではない。

ではそのイーハトーブとは何なのか。注文の多い料理店の宣伝文の中で、賢治は次のように書いている。

<イーハトヴは一つの地名である。強て、その地点を求むるならばそれは、大小クラウスたちの耕してゐた、野原や、少女アリスが辿つた鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考へられる。
実にこれは著者の心象中にこの様な状景をもつて実在した
ドリームランドとしての日本岩手県である。>

賢治はイーハトーブとはひとつの地名であるといい、またそれはドリームランドとしての日本岩手県であるといっている。賢治の生まれ育った現実の岩手県が、賢治の心の中でドリームランドとしてのイーハトーブとなったというのだ。

「いわて」は歴史的仮名遣いでは「いはて」と書く。その「いはて」が「イーハトーヴォ」となったり、「イーハトヴ」となったりして、今日普通に用いられている「イーハトーブ」のかたちに落ち着いたのである。「イーハトーブ」の語源については、賢治が親しんでいたエスペラント語の応用だとする説や、ロシア語からヒントを得たとする説など色々あるが、それはここでは脇へ置いておこう。ひとまず「イーハトーブ」とは賢治の童話的世界が豊かに展開する土壌のようなものだと感じ取ればよい。

賢治はこの「イーハトーブ」を舞台に展開するさまざまな物語を、どのように人々に受け取ってもらいたかったか。それを先の宣伝文の中で、次のように書いている。

<そこでは、あらゆる事が可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従へて北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。
罪や、かなしみでさへそこでは聖くきれいにかゞやいてゐる。
深いブナの森や、風や影、肉の草や、不思議な都会、ベーリング市迄続く電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。この童話集の一列は実に作者の心象スケツチの一部である。それは少年少女期の終り頃から、アドレツセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとつてゐる。
この見地からその特色を数へるならば次の諸点に帰する。
一 これは正しいものゝ種子を有し、その美しい発芽を待つものである。而も決して既成の疲れた宗教や、道徳の残澤を色あせた仮面によつて純真な心意の所有者たちに欺き与へんとするものではない。
二 これらは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しやうとはする。けれどもそれは全く、作者に未知な絶えざる警異に値する世界自身の発展であつて決して畸形に涅ねあげられた煤色のユートピアではない。
三 これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分折とはあつても、たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。
四 これは田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光の中からつやゝかな果実や、青い蔬菜を一緒にこれらの心象スケツチを世間に提供するものである。>

「これは正しいものの種子を有している」以下、4つの項目にわたって自分の作品の意義を説明している。それはとりあえずは、この童話集に収められた九つの作品についての説明であるが、それを超えて賢治の童話的世界全体を説明する言葉にもなっている。

宮沢賢治はいうまでもなく優れた詩人であったが、詩人であると同時に優れた童話作家であった。だが賢治は子供たちだけを相手にして童話を書いたのではない。彼はすべての感受性豊かな人たちを相手に、童話と呼ばれる作品を生涯にわたって書き続けたのだ。

そしてそれらの作品は、賢治の自分自身に対する呼びかけであり、自分自身を試し続けるためのものでもあった。賢治はただ単に童話を書いたのではなく、童話という表現手段を通じて、自分自身との対話を行いながら、生涯を生きたのだということもできる。

そんな童話の数々について、賢治は「注文の多い料理店」の序文の中で、次のように書いている。

<わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしや)や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹(にじ)や月あかりからもらつてきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。>

<これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです。>と賢治はいう。

自分の童話は自分の心の中だけに起源をもつのではなく、それらは自然そのもののなかから自分の心の中にやってきた、そういうのだ。


    

  
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