日本語と日本文化


青森挽歌:宮沢賢治「春と修羅」


宮沢賢治には、マクロコスモスとしての宇宙とミクロコスモスとしての人間とが、どこかでひとつのものに合一する点があるに違いないという確信があった。だから誰よりも愛する妹のトシが死んだとき、彼女の身体は煙になって消えてしまうのではなく、宇宙と合一して新しい命を生きるのだという信念が、あるいはすこし割り引いていえば、そうあって欲しいという希求心があった。

賢治にはいっぽう、世界は六道に分かれていて、人間をはじめあらゆる生き物はその間を行ったり来たりしているという、輪廻転生の仏教的世界観が強く染み付いていた。賢治はこの仏教的世界観を法華経を通じて深めていった。

宮沢賢治の世界は、以上二つの世界観が絡まりあい、結びつきあって、独自のかたちを作り上げている。彼の作品群はいづれも、このような世界観を色濃く反映したものなのだ。

青森挽歌は、妹トシの死を歌った「春と修羅」中の一連の作品群のひとつだが、スケールといい、そこに盛られた思想といい、他の挽歌とは際立って異なった雰囲気をかもし出している。

この長編の詩は、賢治が妹の死の打撃から立ち直るために、樺太へ旅したときの体験を基にしている。賢治が乗った汽車はまず当面の目的地青森にむかうのであるが、その汽車はいつの間にか、現実の汽車であることを超越し、賢治の幻想の中で、銀河の宇宙を走るようになる。そして賢治は銀河鉄道の主人公ジョバンニのように、人間の死の意味と人間が現世で死んだあとに生き続けるべき世界のあり方について考え始めるのだ。

賢治はこの詩の中で、妹の死の意味を改めて考え、それを彼一流の世界観の中に位置づけなおそうとした。その世界観の中で妹トシは、無駄な死を死んだのではなく、兄である自分の心の中だけではなく、本当の意味で新しい命を生きなおすのだ。

詩はイメージに富んだ言葉であふれている。詩人である賢治は妹の魂を追いかけて、宇宙を旅する。その旅の果てに、自分の妹がどんな世界に生まれ変わり、そこでどんな命を生きなおしているのか、それを確かめようというのだ。

この詩はある意味で、宇宙を舞台にした冥界訪問譚であり、心の旅の記録でもある。後に「銀河鉄道の夜」に発展していく要素を多く含んだ作品だ。


  こんなやみよののはらのなかをゆくときは
  客車のまどはみんな水族館の窓になる
       (乾いたでんしんばしらの列が
        せはしく遷つてゐるらしい
        きしやは銀河系の玲瓏(れいろう)レンズ
        巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)

賢治を乗せた汽車が闇夜の野原の中を走る。向かっているのは青森だ。客車の窓は水族館の窓のようだ。汽車は銀河系の玲瓏(れいろう)レンズのように、リンゴ畑の中をはしる。ここまでは現実のできごとの描写だ。だがそのうち現実の出来事に空想的なイメージが重なる。

賢治は妹トシの魂を求めて真っ暗な銀河の中を走っているのだ。「銀河鉄道の夜」の先行的なイメージがここに現れる。そんな銀河の宇宙は、巨大な水素のリンゴというイメージで表される。

賢治はどうして宇宙をリンゴにたとえたのだろうか。マクロコスモスとしての宇宙をミクロコスモスとしてのリンゴに重ね合わせているのではないか。リンゴは丸い、宇宙も丸い。つまりリンゴは宇宙儀なのだ。

  りんごのなかをはしつてゐる
  けれどもここはいつたいどこの停車場(ば)だ
  枕木を焼いてこさへた柵が立ち
       (八月の よるのしじまの 寒天凝膠(アガアゼル))
  支手のあるいちれつの柱は
  なつかしい陰影だけでできてゐる
  黄いろなラムプがふたつ点(つ)き
  せいたかくあをじろい駅長の
  真鍮棒もみえなければ
  じつは駅長のかげもないのだ
       (その大学の昆虫学の助手は
        こんな車室いつぱいの液体のなかで
        油のない赤髪(け)をもじやもじやして
        かばんにもたれて睡つてゐる)

停車場の光景が寒天のようにふにゃふにゃとして見え、なにもかもが陽炎のように揺らめいて見える。

  わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのに
  ここではみなみへかけてゐる
  焼杭の柵はあちこち倒れ
  はるかに黄いろの地平線
  それはビーアの澱(おり)をよどませ
  あやしいよるの 陽炎と
  さびしい心意の明滅にまぎれ
  水いろ川の水いろ駅
      (おそろしいあの水いろの空虚なのだ)

自分の乗った列車は青森のある北へ向かって走っているはずなのに、ここではそれが反転して南へとかけている。黄色い地平線はビールの泡のようだ。

  汽車の逆行は希求(ききう)の同時な相反性
  こんなさびしい幻想から
  わたくしははやく浮びあがらなければならない
  そこらは青い孔雀のはねでいつぱい
  真鍮の睡さうな脂肪酸にみち
  車室の五つの電燈は
  いよいよつめたく液化され
      (考へださなければならないことを
       わたくしはいたみやつかれから
       なるべくおもひださうとしない)

賢治はこんな幻想から抜け出そうとするが、いつしか幻想その物を真実の出来事と捉えざるをえない境地へとはまっていく。あたりには孔雀の羽がいっぱい。鳥のイメージは天上の隠喩だ。賢治を乗せた列車はいよいよ地上を離れて天井へと舞い上がる。

自分はもともと妹トシのことを考えていたのだ。そのことを考え直したいのだが、痛みや疲れから考えることができない。

  今日のひるすぎなら
  けはしく光る雲のしたで
  まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを
  ばかのやうに引つぱつたりついたりした
  おれはその黄いろな服を着た隊長だ
  だから睡いのはしかたない

自分が疲れているのは昼過ぎにした労働のせいだ、だから眠いのは仕方がない、こう思いながらうとうととするうち、いきなり妹への思いが甦ってくる。

      (おゝおまへ(オー ヅウ) せはしいみちづれよ(アイリーガー ゲゼルレ)
       どうかここから急いで去らないでくれ(アイレドツホ ニヒト フオン デヤ ステルレ)
      尋常一年生 ドイツの尋常一年生
       いきなりそんな悪い叫びを
       投げつけるのはいつたいたれだ
       けれども尋常一年生だ
       夜中を過ぎたいまごろに
       こんなにぱつちり眼をあくのは
       ドイツの尋常一年生だ)

ドイツ語で発する言葉はトシへの呼びかけだ。だが無論トシは答えない。そのかわりに尋常一年生と叫ぶ奇妙な声が聞こえてくる。

  あいつはこんなさびしい停車場を
  たつたひとりで通つていつたらうか
  どこへ行くともわからないその方向を
  どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
  たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか
     (草や沼やです
      一本の木もです)
      ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ
     こおんなにして眼は大きくあいてたけど
      ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ
     ナーガラがね 眼をじつとこんなに赤くして
      だんだん環(わ)をちひさくしたよ こんなに
     し 環をお切り そら 手を出して
     ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ
     鳥がね たくさんたねまきのときのやうに
      ばあつと空を通つたの
       でもギルちやんだまつてゐたよ
     お日さまあんまり変に飴いろだつたわねえ
     ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの
      ぼくほんたうにつらかつた
     さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ
     どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう
      忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに

いきなり呼びかけられた言葉によって、賢治の意識には妹のことが甦る。妹のトシはこのさびしい場所をひとりぽっちで通り過ぎていったのだろうか。その道の果にいったい何を見たのだろうかと。

すると、こどもたちが寓話のような話をきかせる。ギルちゃんがナーガラのために危ない目にあったというのだ。ギルちゃんはトシのこと、ナーガラは蛇である。トシはもしかして往生できずに火焔地獄でもだえ苦しんでいるのではないか、こんな絶望的な思いが賢治の心を過ぎる。

  かんがへださなければならないことは
  どうしてもかんがへださなければならない
  とし子はみんなが死ぬとなづける
  そのやりかたを通つて行き
  それからさきどこへ行つたかわからない
  それはおれたちの空間の方向ではかられない
  感ぜられない方向を感じようとするときは
  たれだつてみんなぐるぐるする

賢治は妹のために、こんなはずではないと自分に言い聞かせる。トシは確かに普通の人が言う意味で死んだには違いないが、それは地獄へ落ちるためではない。だがそのトシがどこへいったか、それはいまの自分には計り知れないだけのだ。

     耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい
  さう甘えるやうに言つてから
  たしかにあいつはじぶんのまはりの
  眼にははつきりみえてゐる
  なつかしいひとたちの声をきかなかつた
  にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
  それからわたくしがはしつて行つたとき
  あのきれいな眼が
  なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
  それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
  それからあとであいつはなにを感じたらう
  それはまだおれたちの世界の幻視をみ
  おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
  わたくしがその耳もとで
  遠いところから声をとつてきて
  そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
  万象同帰のそのいみじい生物の名を
  ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
  あいつは二へんうなづくやうに息をした
  白い尖つたあごや頬がゆすれて
  ちひさいときよくおどけたときにしたやうな
  あんな偶然な顔つきにみえた

そこで賢治は妹の死んだ場面をもう一度振り返る。そのとき賢治は妹の耳に、そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
  万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んのではなかったか。それは法華経の教える極楽浄土へ生まれ変わるための、合図ではなかったか。

  けれどもたしかにうなづいた
       ヘツケル博士!
        わたくしがそのありがたい証明の
        任にあたつてもよろしうございます

そのときに妹は確かに変なことをいった。ヘッケル先生は通俗的な進化論者で、人間は爬虫類や鳥類から進化したと解いた。先生によれば死後の世界などはありえないことになるが、そうではない、そのことをわたしが証明して見せましょうというのだ。

   仮睡硅酸(かすゐけいさん)の雲のなかから
  凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は......
     (宗谷海峡を越える晩は
      わたくしは夜どほし甲板に立ち
      あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
      からだはけがれたねがひにみたし
      そしてわたくしはほんたうに挑戦しよう)
  たしかにあのときはうなづいたのだ
  そしてあんなにつぎのあさまで
  胸がほとつてゐたくらゐだから
  わたくしたちが死んだといつて泣いたあと
  とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
  ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
  ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない
  そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が
  つぎのせかいへつゞくため
  明るいいゝ匂のするものだつたことを
  どんなにねがふかわからない

トシはこの世の人間としては確かに死んだ。だがその魂は死なずにいて、残された自分たちの嘆きの声を聞いていたかもしれない。それは別の世界に旅立つための準備だったかもしれない。こう賢治は考え続ける。

  ほんたうにその夢の中のひとくさりは
  かん護とかなしみとにつかれて睡つてゐた
  おしげ子たちのあけがたのなかに
  ぼんやりとしてはひつてきた
  黄いろな花こ おらもとるべがな
  たしかにとし子はあのあけがたは
  まだこの世かいのゆめのなかにゐて
  落葉の風につみかさねられた
  野はらをひとりあるきながら
  ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ

トシの魂はこの世と縁が切れたわけではなかったのだ。しようとおもえば、黄色い花を摘んだり、野原をひとり歩くこともできたのだ。

  そしてそのままさびしい林のなかの
  いつぴきの鳥になつただらうか
  I'estudiantina を風にききながら
  水のながれる暗いはやしのなかを
  かなしくうたつて飛んで行つたらうか
  やがてはそこに小さなプロペラのやうに
  音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
  無心のとりのうたをうたひながら
  たよりなくさまよつて行つたらうか

やがてトシの魂は一羽の鳥の姿をかりて、天上へと舞い上がったに違いないのだ。行く手には新しい友達が連れ添い、楽しい思いをしながら天上への旅を続けたに違いないのだ。

       わたくしはどうしてもさう思はない
  なぜ通信が許されないのか
  許されてゐる そして私のうけとつた通信は
  母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
  どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
  それらひとのせかいのゆめはうすれ
  あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
  あたらしくさはやかな感官をかんじ
  日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
  かがやいてほのかにわらひながら
  はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
  交錯するひかりの棒を過ぎり
  われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
  それがそのやうであることにおどろきながら
  大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
  わたくしはその跡をさへたづねることができる
  そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ
  あまりにもそのたひらかさとかがやきと
  未知な全反射の方法と
  さめざめとひかりゆすれる樹の列を
  ただしくうつすことをあやしみ
  やがてはそれがおのづから研かれた
  天の瑠璃の地面と知つてこゝろわななき
  紐になつてながれるそらの楽音
  また瓔珞やあやしいうすものをつけ
  移らずしかもしづかにゆききする
  巨きなすあしの生物たち
  遠いほのかな記憶のなかの花のかをり
  それらのなかにしづかに立つたらうか

そんな愛する妹と、賢治はいまだって通信することができる。彼女がどんな世界へと旅立っていったのか、それを彼女自身から知ることができる。彼女は天の瑠璃の地面に立っているのだ。

  それともおれたちの声を聴かないのち
  暗紅色の深くもわるいがらん洞と
  意識ある蛋白質の砕けるときにあげる声
  亜硫酸や笑気(せうき)のにほひ
  これらをそこに見るならば
  あいつはその中にまつ青になつて立ち
  立つてゐるともよろめいてゐるともわからず
  頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
  (わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
  いつたいほんたうのことだらうか
  わたくしといふものがこんなものをみることが
  いつたいありうることだらうか
  そしてほんたうにみてゐるのだ)と
  斯ういつてひとりなげくかもしれない......

だが賢治は、妹が別のところにいったかもしれないと、恐れもする。そこは亜硫酸や笑気(せうき)のにほひがするいやなところだ。もしそんなところにトシがいってしまったなら、自分はどんなにかつらい思いをするだろうか。

  わたくしのこんなさびしい考は
  みんなよるのためにできるのだ
  夜があけて海岸へかかるなら
  そして波がきらきら光るなら
  なにもかもみんないいかもしれない
  けれどもとし子の死んだことならば
  いまわたくしがそれを夢でないと考へて
  あたらしくぎくつとしなければならないほどの
  あんまりひどいげんじつなのだ

賢治は思い直す。こんなつらいことを考えるのは、夜のせいだ。日が昇ればなにもかもよい方向に変わるかもしれない。

  感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
  それをがいねん化することは
  きちがひにならないための
  生物体の一つの自衛作用だけれども
  いつでもまもつてばかりゐてはいけない

ここで賢治は反省する。人間はあまりにもつらいことに直面したとき、それを心の中で概念化することによって、つらさを乗り越えることができるのだと。

  ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
  あらたにどんなからだを得
  どんな感官をかんじただらう
  なんべんこれをかんがへたことか
  むかしからの多数の実験から
  倶舎がさつきのやうに云ふのだ
  二度とこれをくり返してはいけない
  おもては軟玉(なんぎよく)と銀のモナド
  半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ
  巻積雲(けんせきうん)のはらわたまで
  月のあかりはしみわたり
  それはあやしい蛍光板(けいくわうばん)になつて
  いよいよあやしい苹果の匂を発散し
  なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる
  青森だからといふのではなく
  大てい月がこんなやうな暁ちかく
  巻積雲にはひるとき......


賢治はもう後ろ向きに考えるのはよそうと思う。窓の外は軟玉(なんぎよく)と銀のモナド、半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ。

         おいおい あの顔いろは少し青かつたよ
  だまつてゐろ
  おれのいもうとの死顔が
  まつ青だらうが黒からうが
  きさまにどう斯う云はれるか
  あいつはどこへ堕ちようと
  もう無上道に属してゐる
  力にみちてそこを進むものは
  どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ

再び賢治を後ろに連れ戻そうとする声が聞こえてきても、賢治は惑わされない。トシはたしかに、無常道の世界にいったのだという確信が強まるのだ。

  ぢきもう東の鋼もひかる
  ほんたうにけふの......きのふのひるまなら
  おれたちはあの重い赤いポムプを......
         もひとつきかせてあげよう
          ね じつさいね
          あのときの眼は白かつたよ
          すぐ瞑りかねてゐたよ
  まだいつてゐるのか
  もうぢきよるはあけるのに
  すべてあるがごとくにあり
  かゞやくごとくにかがやくもの
  おまへの武器やあらゆるものは
  おまへにくらくおそろしく
  まことはたのしくあかるいのだ

夜が白み始めると、賢治の幻想は覚めて、現実へと引き戻される。現実が昼の世界なら、意識も明るくさえる。さえた意識の中で、後ろ向きの考えばかり抱き続ける必要はない。

         みんなむかしからのきやうだいなのだから
          けつしてひとりをいのつてはいけない
  ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
  あいつがなくなつてからあとのよるひる
  わたくしはただの一どたりと
  あいつだけがいいとこに行けばいいと
  さういのりはしなかつたとおもひます

最後に賢治がささやく言葉は、妹の死についてだけでなく、万人の死について考えよう、ひとりのためだけにではなく、万人のために祈ろうというものだ。それが妹にとっても望むところだったに違いないからと。


    

  
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