宮沢賢治の世界
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リンゴとジョヴァンニの切符と空の孔:銀河鉄道の夜


リンゴは宮沢賢治が好きな食べ物だったらしく、実にいろいろなところで取り上げている。「銀河鉄道の夜」の中でも、リンゴが出てくるし、またこの物語の発想の原点となった「青森挽歌」においても、賢治の乗った列車はいつの間にかリンゴの果肉の中を走っているのであった。

見田宗助は、賢治にとってリンゴは宇宙のイメージにつながっているという。つまり銀河系を含めた宇宙全体はリンゴのように丸い形をしているというのだ。だからリンゴを手にすることは、宇宙を掌のなかにつかむということになる。

筆者なりにこれを再解釈すれば、リンゴのタネに当たるところがわれわれの住む世界であり、その外側の果肉の部分は宇宙の広大な空間を現す。

リンゴにとって外部の空間があるように、宇宙もそれ自体の中で完結しているわけではない。宇宙の外側には、宇宙全体を包み込むようなさらに大きな時空があるにちがいない。それは宇宙の法則を支配しているような三次元の時空ではありえない、もっと高次の異次元の世界がそこに展開しているに違いない、賢治によればそういうことになるようだ。

ではリンゴとその世界とを連絡するようなものが、宇宙とその外部の異次元の間にも考えられるだろうか。それは普通の人間の想像力では、イメージすることが難しかろう。そこで賢治は比喩によってそれを説明しようとした。空の孔である。

賢治が持ち出す空の孔とは、図りがたい暗黒としてイメージされている。人間の想像力では伺えない世界であるから、孔の先が巨大な暗闇としてみえるのは無理もない。あるいは賢治はブラックホールのイメージを重ね合わせているのかもしれない。ブラックホールが宇宙にあいた恐ろしい孔であり、光でさえも二度とそこから出てこれないことは、知識としては知っていただろうから。

物語の中では、ジョヴァンニは自分がこれまでいた三次元の世界からどうも違った世界に向かいつつあることを知るようにさせられ、ついで空の孔を目撃して、それが異次元への入り口であることを感じるような具合に、進んでいく。その果てに、自分の隣に座っていたカンパネルラが、空の孔に吸い込まれるようにして、突然消えてしまうわけである。

三次元と異次元との相違に気づかせてくれるのは銀河鉄道の車掌である。乗車切符を見せるように求められたとき、カンパネルラは所定の灰色の切符を差し出すが、ジョヴァンニはポケットに入っていた紙切れを、苦し紛れに差し出す。そうすると車掌は「これは三次元空間のほうからお持ちになったのですか」とたずね、そばにいた鳥捕りは驚たようにいうのだ。

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想(げんそう)第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈(はず)でさあ、あなた方大したもんですね。」

なぜ死者たちの切符よりも、ジョヴァンニの持っていた切符のほうが大きな意味を持っているのだろうか。

鳥捕りは自分たちの切符は行き先が決まっているのに、この切符を持っていれば、どんな異次元の世界にだっていける、そういっているのだ。また鳥捕りは、不完全な幻想第四次の銀河鉄道とも言っている。つまり銀河鉄道が運んでくれるのは、三次元から四次元へであるのに対し、ジョヴァンニの切符は天国にさえ運んでくれる。つまり無限の可能性をもった切符だというのだ。

この切符とはつまり、ジョヴァンニの意思そのもののかたちを現しているのだろう。人間というものは、どんなことでも達成できる可能性に満ちている。意思しさえすれば、四次元空間の中で生き続けるばかりでなく、永遠の輝きに満ちた天国へも行くことができる。そういっているように聞こえる。

やがて二人は空に黒々とあいた孔を見つける。それが異次元への入り口であることは、上述したとおりだ。

<「あ、あすこ石炭袋(ぶくろ)だよ。そらの孔(あな)だよ。」カムパネルラが少しそっちを避(さ)けるやうにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいてゐるのです。その底がどれほど深いかその奥(おく)に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云ひました。
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫(さけ)びました。
 ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむってゐるばかりどうしてもカムパネルラが云ったやうに思はれませんでした。何とも云へずさびしい気がしてぼんやりそっちを見てゐましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕(うで)を組んだやうに赤い腕木をつらねて立ってゐました。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが斯(か)う云ひながらふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかってゐました。ジョバンニはまるで鉄砲丸(てっぽうだま)のやうに立ちあがりました。そして誰(たれ)にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉(のど)いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったやうに思ひました。>





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