宮沢賢治の世界
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風の又三郎:宮沢賢治を読む


  どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きとばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう

宮沢賢治の童話「風の又三郎」は、このような印象的な擬音語で始まる。言葉のリズムから容易に連想されるとおり、これは風の音を模したものだ。しかも烈しく吹いて、くるみやかりんの実を吹き飛ばし、通り過ぎた後に不思議な記憶を残すような風、この童話はそんな風のような少年をめぐる、遠い昔の甘い記憶のような物語なのだ。

舞台は小さな村の小さな小学校。教室はたったひとつで、そこに1年生から6年生までの生徒たちが一緒に勉強している。そこへある日転校生がやってくる。小さな村に生まれ育って、いままで村人以外の人を見ることのなかった子供たちに、少年は不思議な光を帯びた存在として写る。そんな少年を子供たちは風の又三郎とあだ名する。又三郎の現れるところには必ず風が巻き起こるからである。

物語はそんな又三郎と子供たちとの出会いと交流そして別れを描く。出会ってから分かれるまでわずか12日しかたっていない。そんな短い時間なのに、子供たちには少年時代の全体に匹敵するほどの意味を持つことになるだろう。それは子供たちと又三郎との交流が、一日一日新しい発見と感動に満ちた、密度の高いものだからだ。

誰しも自分の過去を振り返るとき、子供時代の一日が大人になってからの何年にも匹敵するような、密度の高いものに感じられることがあることだろう。子ども時代の経験とはそれほどかけがいのないものなのだ。この作品は子供たちを相手に経験の大事さを訴えかけるとともに、われわれ大人にも、子供時代の初心を改めて気づかせてくれる。

また、賢治があえて転校生を主人公に選んだ理由には、深い事情が絡んでいるものと考えることができる。これは賢治自身の心の問題にその根を持つ。この物語の主人公又三郎が賢治の分身であろうことは容易に設定できることであるが、それがなぜ転校生でなければならなかったのか。

転校生とは村という閉ざされた共同体にとっては、異邦人を意味する。彼は村の子供たちにとって、まずはよそ者なのだ。そのよそ者がある日突然共同体の内部に踏み込んでくる。よそ者は共同体の成員にとっては、容易に同化できない異物だ。逆によそ者にとっては、共同体は容易に溶け込めぬ障壁として存在する。

だが子供ならもう少し違った展開もありうるだろう。不幸にして既成の共同体に溶け込めずはじき出されてしまう転校生もありうるだろうが、中には共同体に温かく受け入れてもらえた幸運なケースもある。

この物語で展開するものは、そうした幸運な事例なのである。賢治はそれをある種の願望を込めて描いているといえる。

賢治自身生涯不幸な疎外感に悩み、自分がこの世にとって必要の無いよそ者なのではないかと悩んだ形跡がある。だから又三郎の転校生としての立場は、自分の疎外されていると感じた状況と相通じるものがあった。

そんな賢治がこの物語の中で展開したものは、転校生の疎外ではなく、共同体との一体化であった。そうすることによって賢治は、自分の疎外感に一種の救いの感情のようなものを用意しようとしたのではないか。

物語は次のような書き出しで始まる。

 <谷川の岸に小さな学校がありました。
 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗(くり)の木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴(ふ)く岩穴もあったのです。
 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴(ゆきばかま)をはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人(ふたり)ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。>

この描写は、転校生がやってきたときには、今でもよく見られる光景だろう。受け入れる側は初めて転校生に接してどうしたらいいのかわからない。その不安が小さな子を泣かせたりもする。

転校生は自分とは違った背景を持つ存在だから、既成の秩序に生きてきた子供たちにとっては、彼がどのような行動をとるのか見込みが立たない。そこでみな不安になるのだ。一方転校生のほうは犠牲のヤギのように差し出された境地で、既成の世界に向き合わねばならない。そこに火花が散るのは当然のことだ。
 
 <ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革(かわ)の半靴(はんぐつ)をはいていたのです。
 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「あいづは外国人だな。」
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。>

転校生の又三郎は、子供たちにとってまったく見知らぬ世界からやってきた外国人のように写る。まず服装が自分たちとは違って異様だ。言葉遣いも自分たちとは違う。

子供たちは息をこらして又三郎の様子を観察する。そのとき一陣の風がどうと吹いてくる。

 <そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱(かや)や栗(くり)の木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
 すると嘉助がすぐ叫びました。
「ああわかった。あいつは風の又三郎(またさぶろう)だぞ。」>

風の又三郎とは風を擬人化したローカルな言葉なのだろう。転校生の本当の名は高田三郎というから、その名にかけたあだ名とも言える。

あだ名をつけるということは、対象を自分の認識の秩序の枠内に当てはめることだ。ひとはそうすることによって、いままで漠然としてとりとめのなかったものを、自分の理解できる範疇へと組み込むことができる。その結果あだ名をつけられたものは自分にとってある意味で懐かしいものに転化する。あだ名されたものはそこで初めて仲間に入れてもらえるのだ。

あだ名をつけられた又三郎は風が吹くたびに自分のあだ名をはやし立てられるようになる。それはむろんからかいの感情からではあろうが、そうすることによって、はやすものとはやされるものとが次第に一体感を深めていくのだ。
 
 <その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵(ちり)があがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶(びん)をさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
 すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」>

こうして又三郎と村の子供たちとの交流が日ごとに深まっていく。賢治は日を追って趣向を変えては、子供たちの友情が遊びを通じて深まっていく過程を描いている。そうすることによって、子供の読者には自分の身近な体験と重なり合うような感じを、また大人の読者には遠い昔の自分を思い出させるような効果を発揮させている。

遊びの場面の中でももっとも印象的なのは、競馬のシーンであろう。又三郎の発案で馬を追いながらその速さを競うということになったが、走行しているうちに、馬たちが牧場の策を越えて逃げてしまう。子供たちはそれを必死になって追いかけるうち、いつしか道に迷ってしまうというものである。

道に迷って疲れ果てた嘉助が草の上に横になると、不思議な幻覚に襲われる。

 <空が旗のようにぱたぱた光って飜り、火花がパチパチパチッと燃えました。嘉助はとうとう草の中に倒れてねむってしまいました。
 そんなことはみんなどこかの遠いできごとのようでした。
 もう又三郎がすぐ目の前に足を投げだしてだまって空を見あげているのです。いつかいつものねずみいろの上着の上にガラスのマントを着ているのです。それから光るガラスの靴(くつ)をはいているのです。
 又三郎の肩には栗(くり)の木の影が青く落ちています。又三郎の影は、また青く草に落ちています。そして風がどんどんどんどん吹いているのです。
 又三郎は笑いもしなければ物も言いません。ただ小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま黙ってそらを見ています。いきなり又三郎はひらっとそらへ飛びあがりました。ガラスのマントがギラギラ光りました。
 ふと嘉助は目をひらきました。灰いろの霧が速く速く飛んでいます。
 そして馬がすぐ目の前にのっそりと立っていたのです。その目は嘉助を恐れて横のほうを向いていました。>

嘉助は大人たちに発見されてなんとか事なきを得るが、この出来事を通じて、子どもたちと又三郎との絆はさらに深まるのである。

又三郎は自分のあだ名を逆手にとって、ほかの子供をからかうようなこともするようになる。又三郎にいじめられた子供が、この世から風なんかなくなれと罵ったときに、又三郎は風の効用を説いて聞かせるのだ。

<「わあい又三郎、まだひとさ水掛げだな。」
「風が吹いたんだい。」
 みんなはどっと笑いました。
「わあい又三郎、うなそごで木ゆすったけあなあ。」
 みんなはどっとまた笑いました。
 すると耕助はうらめしそうにしばらくだまって三郎の顔を見ながら、
「うあい又三郎、汝(うな)などあ世界になくてもいいなあ。」
 すると三郎はずるそうに笑いました。
「やあ耕助君、失敬したねえ。」
 耕助は何かもっと別のことを言おうと思いましたが、あんまりおこってしまって考え出すことができませんでしたのでまた同じように叫びました。
「うあい、うあいだ、又三郎、うなみだいな風(かぜ)など世界じゅうになくてもいいなあ、うわあい。」
「失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」三郎は少し目をパチパチさせて気の毒そうに言いました。けれども耕助のいかりはなかなか解けませんでした。そして三度同じことをくりかえしたのです。
「うわい又三郎、風などあ世界じゅうになくてもいいな、うわい。」
 すると三郎は少しおもしろくなったようでまたくつくつ笑いだしてたずねました。
「風が世界じゅうになくってもいいってどういうんだい。いいと箇条をたてていってごらん。そら。」三郎は先生みたいな顔つきをして指を一本だしました。
 耕助は試験のようだし、つまらないことになったと思ってたいへんくやしかったのですが、しかたなくしばらく考えてから言いました。
「汝(うな)など悪戯(わるさ)ばりさな、傘(かさ)ぶっこわしたり。」
「それからそれから。」三郎はおもしろそうに一足進んで言いました。
「それがら木折ったり転覆したりさな。」
「それから、それからどうだい。」
「家もぶっこわさな。」
「それから。それから、あとはどうだい。」
「あかしも消さな。」
「それからあとは? それからあとは? どうだい。」
「シャップもとばさな。」
「それから? それからあとは? あとはどうだい。」
「笠(かさ)もとばさな。」
「それからそれから。」
「それがら、ラ、ラ、電信ばしらも倒さな。」
「それから? それから? それから?」
「それがら屋根もとばさな。」
「アアハハハ、屋根は家のうちだい。どうだいまだあるかい。それから、それから?」
「それだがら、ララ、それだからランプも消さな。」
「アアハハハハ、ランプはあかしのうちだい。けれどそれだけかい。え、おい。それから? それからそれから。」
 耕助はつまってしまいました。たいていもう言ってしまったのですから、いくら考えてももうできませんでした。
 三郎はいよいよおもしろそうに指を一本立てながら、
「それから? それから? ええ? それから?」と言うのでした。
 耕助は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
「風車もぶっこわさな。」
 すると三郎はこんどこそはまるで飛び上がって笑ってしまいました。みんなも笑いました。笑って笑って笑いました。>

又三郎のあだ名はいいことばかりではない。時には子供たちに自然の恐ろしさを思い出させることもある。遊んでいる最中に突然嵐に襲われて、身に危険を感じたとき、子供たちは次のような振る舞いをするのだ。

 <ところが、そのときはもうそらがいっぱいの黒い雲で、楊(やなぎ)も変に白っぽくなり、山の草はしんしんとくらくなり、そこらはなんとも言われない恐ろしい景色にかわっていました。
 そのうちに、いきなり上の野原のあたりで、ごろごろごろと雷が鳴り出しました。と思うと、まるで山つなみのような音がして、一ぺんに夕立がやって来ました。風までひゅうひゅう吹きだしました。
 淵(ふち)の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまいました。
 みんなは河原から着物をかかえて、ねむの木の下へ逃げこみました。すると三郎もなんだかはじめてこわくなったと見えて、さいかちの木の下からどぼんと水へはいってみんなのほうへ泳ぎだしました。
 すると、だれともなく、
「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」と叫んだものがありました。
 みんなもすぐ声をそろえて叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」
 三郎はまるであわてて、何かに足をひっぱられるようにして淵(ふち)からとびあがって、一目散にみんなのところに走って来て、がたがたふるえながら、
「いま叫んだのはおまえらだちかい。」とききました。
「そでない、そでない。」みんないっしょに叫びました。
 ぺ吉がまた一人出て来て、
「そでない。」と言いました。
 三郎は気味悪そうに川のほうを見ていましたが、色のあせたくちびるを、いつものようにきっとかんで、「なんだい。」と言いましたが、からだはやはりがくがくふるえていました。
 そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。>

時にはこんなこともあるのが子供の世界だ。子供たちはプラスにせよマイナスにせよ、さまざまな経験をつむことによって、次第に大人になっていくのだから。

こうして12日目にフィナーレが訪れる。又三郎は突然他の学校に転向することになったのだ。もはやその又三郎が子供たちの目の前に現れることはない。

<「先生お早うございます。」一郎が言いました。
「先生お早うございます。」と嘉助も言いましたが、すぐ、
「先生、又三郎きょう来るのすか。」とききました。
 先生はちょっと考えて、
「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんはきのうおとうさんといっしょにもうほかへ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶(あいさつ)するひまがなかったのです。」
「先生飛んで行ったのですか。」嘉助がききました。
「いいえ、おとうさんが会社から電報で呼ばれたのです。おとうさんはもいちどちょっとこっちへ戻られるそうですが、高田さんはやっぱり向こうの学校にはいるのだそうです。向こうにはおかあさんもおられるのですから。」
「何(な)して会社で呼ばったべす。」と一郎がききました。
「ここのモリブデンの鉱脈は当分手をつけないことになったためなそうです。」
「そうだないな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」嘉助が高く叫びました。
 宿直室のほうで何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。
 二人はしばらくだまったまま、相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま立ちました。
 風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、またがたがた鳴りました。>

賢治は又三郎と子供たちとの交流を暖かく描くことで、よそ者が疎外感を克服していく過程を描こうとした。それは自分自身の救いにもつながるものだったに違いない。しかし転校生としての又三郎はついに、この共同体に本当に同化することはなかった。彼はせっかく仲良くなれた時分に、仲間から引き裂かれて、去ってしまうのだ。

この物語は、共同体の成員の目から見たよそ者像を描いていることはたしかだ。よそ者はある日突然やってきて、ある程度自分たちと仲良くなることができたが、最後にはまたいなくなってしまう。それは海の果てからやってきて、この国に恵みをもたらし、やがて又去っていった、あのマレビトの姿と重なり合うところがある。





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