宮沢賢治の世界
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やまなし:宮沢賢治の童話を読む


「やまなし」は小学校の国語の教科書にも採用されているとおり、宮沢賢治の童話のなかでもわかりやすく、また美しい作品だ。賢治の大きな特徴であるオノマトペを効果的に使いながら、言葉のリズム感が豊かで、自然の描写がみずみずしく、人の感性に直接訴えかける文章だ。

内容はいたって単純だ、小さな谷川の底にいる二匹の小さなカニの兄弟が、見たり感じたりしたことをそのままに書いている。その光景はあくまでもカニの視点から見たものなので、読者は自分もカニになった気分で、水の底の低い視点から世界を見ているような気持ちになる。

世界を見る見方には、人間の見る見方とは異なったいろいろな見方がありうる、この物語を読む子どもたちは、そんなことを教えられるに違いない。

物語は二つの場面からなる。初夏の谷川と晩秋の谷川だ。季節が異なるに従い、谷川の光景は変化する。初夏は暖かい水のなかでのんびりとした時間が流れていく、晩秋は月の光をあびた青ぐらい水の中にやまなしの実が落ちてくる。どちらもカニの目には幻のように映る。賢治がこの物語を「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。」と書いている所以だ。

まず五月の谷川の底の光景から読んでみよう。

<二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『クラムボンは跳てわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
 上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらつてゐたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『それならなぜクラムボンはわらつたの。』
『知らない。』
 つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつとつゞけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のやうに光つて斜めに上の方へのぼつて行きました。
 つうと銀のいろの腹をひるがへして、一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまつたよ.........。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べつたい頭にのせながら云(い)ひました。
『わからない。』
 魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『わらつた。』
 にはかにパツと明るくなり、日光の黄金(きん)は夢のやうに水の中に降つて来ました。
 波から来る光の網が、底の白い磐(いは)の上で美しくゆらゆらのびたりちゞんだりしました。泡や小さなごみからはまつすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ちました。
 魚がこんどはそこら中の黄金(きん)の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又上流(かみ)の方へのぼりました。
『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』
 弟の蟹(かに)がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。
『何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。』
『とつてるの。』
『うん。』
 そのお魚がまた上流(かみ)から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて、ひれも尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環(わ)のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。
『お魚は......。』
 その時です。俄(にはか)に天井に白い泡がたつて、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(だま)のやうなものが、いきなり飛込んで来ました。
 兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖(とが)つてゐるのも見ました。と思ふうちに、魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり、上の方へのぼつたやうでしたが、それつきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金(きん)の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。
 二疋はまるで声も出ず居すくまつてしまひました。
 お父さんの蟹(かに)が出て来ました。
『どうしたい。ぶるぶるふるへてゐるぢやないか。』
『お父さん、いまをかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。』
『そいつの眼が赤かつたかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かはせみと云ふんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまはないんだから。』
『お父さん、お魚はどこへ行つたの。』
『魚かい。魚はこはい所へ行つた』
『こはいよ、お父さん。』
『いゝいゝ、大丈夫だ。心配するな。そら、樺(かば)の花が流れて来た。ごらん、きれいだらう。』
 泡と一緒に、白い樺の花びらが天井をたくさんすべつて来ました。
『こはいよ、お父さん。』弟の蟹も云ひました。
 光の網はゆらゆら、のびたりちゞんだり、花びらの影はしづかに砂をすべりました。

カニの兄弟が叫んでいるクラムボンという言葉には、いろいろな解釈がある。筆者はそれを泡と受け止めたい。カニのはく息の泡でもよい、水面の動きから生じる泡でもよい、それがはじけると笑っているように見え、魚が通りがかって消えてしまうと、死んだ、あるいは殺されたというふうに映るのだろう。

その泡の動きを、カニたちは水の底から見上げている。すると魚が通りがかり、カニの周りを行ったりきたりする。そのたびに泡が消えたり生まれたりする。カニにとっては、魚は泡を殺すものであるが、その魚を殺すもっと恐ろしいものがやってくる。カニの子供たちたちにはその姿は見えないが、父親のカニが、それはカワセミだよと教えてくれる。

カニの兄弟はカワセミをみたことはないが、魚を殺してしまうほどだからきっと恐ろしいものに違いない、自分たちは魚よりも弱いのに、その魚よりも強いものがいることにカニの兄弟たちは衝撃を受けるのだ。

やがて季節が過ぎて秋になる。後半は晩秋の谷川が舞台だ。

<蟹(かに)の子供らはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすつかり変りました。
 白い柔かな円石もころがつて来小さな錐(きり)の形の水晶の粒や、金雲母(きんうんも)のかけらもながれて来てとまりました。
 そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶(びん)の月光がいつぱいに透とほり天井では波が青じろい火を、燃したり消したりしてゐるやう、あたりはしんとして、たゞいかにも遠くからといふやうに、その波の音がひゞいて来るだけです。
 蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡(ねむ)らないで外に出て、しばらくだまつて泡をはいて天井の方を見てゐました。
『やつぱり僕の泡は大きいね。』
『兄さん、わざと大きく吐いてるんだい。僕だつてわざとならもつと大きく吐けるよ。』
『吐いてごらん。おや、たつたそれきりだらう。いゝかい、兄さんが吐くから見ておいで。そら、ね、大きいだらう。』
『大きかないや、おんなじだい。』
『近くだから自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一緒に吐いてみよう。いゝかい、そら。』
『やつぱり僕の方大きいよ。』
『本当かい。ぢや、も一つはくよ。』
『だめだい、そんなにのびあがつては。』
 またお父さんの蟹が出て来ました。
『もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。』
『お父さん、僕たちの泡どつち大きいの』
『それは兄さんの方だらう』
『さうぢやないよ、僕の方大きいんだよ』弟の蟹は泣きさうになりました。
 そのとき、トブン。
 黒い円い大きなものが、天井から落ちてずうつとしづんで又上へのぼつて行きました。キラキラツと黄金(きん)のぶちがひかりました。
『かはせみだ』子供らの蟹は頸(くび)をすくめて云ひました。
 お父さんの蟹は、遠めがねのやうな両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云ひました。
『さうぢやない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行つて見よう、あゝいゝ匂(にほ)ひだな』
 なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂ひでいつぱいでした。
 三疋(びき)はぽかぽか流れて行くやまなしのあとを追ひました。
 その横あるきと、底の黒い三つの影法師が、合せて六つ踊るやうにして、山なしの円い影を追ひました。
 間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔(ほのほ)をあげ、やまなしは横になつて木の枝にひつかかつてとまり、その上には月光の虹(にじ)がもかもか集まりました。
『どうだ、やつぱりやまなしだよ、よく熟してゐる、いい匂ひだらう。』
『おいしさうだね、お父さん』
『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰つて寝よう、おいで』
 親子の蟹(かに)は三疋自分等の穴に帰つて行きます。
 波はいよいよ青じろい焔をゆらゆらとあげました、それは又金剛石の粉をはいてゐるやうでした。>

晩秋の月明かりの夜、谷川の水の底でカニの兄弟が吐き出した泡の大きさを比べあっているところに、やまなしの実がひとつ落ちてくる。キラキラッと金のぶちが光ったというから、おそらくまだら模様の梨だったのだろう。それがいったん水の中にもぐった後、また浮かび上がって流れていく。それをカニたちが追いかけていく。

「間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔(ほのほ)をあげ、やまなしは横になつて木の枝にひつかかつてとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。」カニの視線からすれば、水の表面は天上のように見える。そこにたつ波が月の光を受けて青い炎を上げる。じつに幻想的な場面だ。

月光の虹がもかもかと集まったとは、どんな様子をいうのだろう。虹であるから七色の光からなっている。その虹は波にかかっているのであるから、浮いているか揺れているかどちらかだろう。

こうしてみれば「もかもか」とは、「もやもや」と「ぷかぷか」が融合した形をあらわしているのだろうか。

賢治はそれを読者の想像にゆだねて、自分からは詳しく説明しない。





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