日本語と日本文化


グスコーブドリの伝記:宮沢賢治の世界


「グスコーブドリの伝記」は賢治の死の前年に児童雑誌に発表された。賢治最晩年の作品であるが、内容的から見てもそういうのに相応しいところがある。この作品には賢治が最後にたどり着いた思想が、簡潔にそして美しい言葉で語られているのだ。その思想とは簡単にいえば、自己犠牲を通じて世界と和解するということである。

処女作「春と修羅」の題名がいみじくも語っているように、賢治は世界と自分という存在との間に、深い裂け目があることを自覚することから出発した。世界は春のように豊穣な美しさに包まれているというのに、自分は一人の修羅として、生命の豊かさを享受できないばかりか、いつもこの世から疎外されているとしか感じることができない。

その疎外感はさまざまな形をとって賢治を悩まし続ける。それが嵩じると、「フランドン農学校の豚」のように、意味もなく死んでいくのだといった強迫観念にもなる。どうしたら、この疎外感を克服して、世界と和解できるだろうか。一人の人間として世界に生まれ出てきたことの意味を感じることができるだろうか。

賢治が悩みの果てにたどり着いたのは自己犠牲という観念だった。「雨ニモマケズ」にはその無私の立場にたった自己犠牲のあり方が、訥々と語られている。また銀河鉄道の中に出てくる「さそりの火」の挿話は、自己犠牲が帯びている尊い精神について語っている。ジョヴァンニも又この自己犠牲を通して、世界をいとおしいものとして、自分の内部に取り込むことができるようになるのだ。

ではなぜ自己犠牲なのか。人は自分を滅ぼすことによってしか世界と和解できないものなのか。なぜ自分を高め、自分を積極的に主張することでは、世界と和解できないのか。こうした疑問に対して、賢治は自分の生き方を通じて、黙示的に答える外はない。グスコーブドリの生き方も、その答えのひとつなのだ。

グスコーブドリの物語では、自己犠牲の精神はグスコーブドリの親たちによってまず示される。飢饉がせまって家の中に食べるものが欠乏していく状況を前に、親たちはせめて子供たちだけでも生き延びさせるために、森の中に去っていって飢え死にをする。幼いグスコーブドリと妹のネリにはその意味はわからなかったが、親たちが残していったわずかな食べ物を頼りに生き延びることができた。

孤児になったグスコーブドリたちは、つらい思いをしながら育っていく。グスコーブドリは悪い人間たちにだまされ、搾取され、挙句の果ては妹のネリが人攫いによってさらわれていったりする。まだ幼い子供たちだというのに、なぜこんなにつらい思いばかりしなけれなならぬのか。物語を読むものは、その不条理さをやるせなく感じるだろう。

だが世の中とは不条理だらけのものなのだ。そんな不条理の中でも、人間は人間らしくあることができる。賢治はそう語っているようなのだ。

さまざまな辛酸をなめつつ青年になったブドリは、火山局の技師として働くようになる。ブドリは先生や先輩の技師たちと一緒になって、火山の爆発をコントロールしたり、気候をコントロールして旱魃の際には雨を降らしたり、それに加えて肥料となる窒素を畑にばら撒いていったりもする。そうしたブドリの努力を誤解して、ブドリに暴力を振るうものもいるが、ブドリは自分の行動を信念を以て続けるのだ。

そのうちに大旱魃が迫ってくると予想されるようになった。ブドリの親たちが自分たちは飢え死にしてまで子供たちの命を救ったあの年と、同じような規模の旱魃だ。ブドリは自分たちのこうむった悲しい事態が、また他の子供たちの身の上にも訪れるかも知れぬと思うと、何とかしてこの旱魃を防がなければならないと強く思うようになる。

そこでブドリは、もし火山を人工的に爆発させれば、地球の温度が上がり、雨も降って、旱魃が防げるのではないかと思い、先生のクーボー大博士に相談する。

<「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」
「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴(ふ)くでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」>

こうしてブドリは自分がその最後の一人になることを覚悟して、火山を爆発させるために働くのだ。

 <それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅(あかがね)いろになったのを見ました。
 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。>

ブドリのこの自己犠牲の精神はどこから来たのだろうか。賢治はテクストのなかでは、そのことに詳しく触れていない。またブドリがどのようにして死んでいったかについても触れていない。解釈によっては、ブドリは火山の火口の中に飛び込んだのだと主張するものもいる。そんな解釈が不自然でないほど、ブドリの自己犠牲は美しく描かれている。

見田宗助はブドリの自己犠牲に関連して、次のような趣旨のことを言っている。

自己犠牲という言葉にはある胡散臭さが付きまとっている。それは賢治が生きていた軍国主義時代の日本にとっては、とりわけ政治的に利用されかねない危険性も持っていた。国家は国民に自己犠牲を宣伝することで、国民がお国のために喜んで死んでいくことを推奨していた時代だ。

だから自己犠牲という言葉が独り歩きすると、それは薄っぺらい内実のものに貶められる。賢治の場合には、この自己犠牲に先立って、自己の存在を焼き尽くしたいという、焼身願望のようなものがあった。賢治はそれを実現するための機会のひとつとして、自己犠牲の行動を選んだといえる。

賢治は、この世から常に疎外されているという感情の裏返しとして、できうればこの世から消えてしまいたいという望みをも抱くに到っていた。それが焼身願望に結びつくのだが、ただ単に死んで消えてしまうのでは、この世との和解はついに達成せられない。賢治は自己犠牲という行動を通じて、ひとびとの命にコミットすることで、この世との和解を図ったのではないか。そう解釈するわけである。

筆者にはどう解釈したらよいか、納得のいく答えはない。だがグスコーブドリの自己犠牲の精神が、賢治が生涯の最後にたどり着いた、この世に存在することへの、修羅としてではなく、ひとりの人間としての、答えだったように思われるのだ。


    

  
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