宮沢賢治の世界
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ポラーノの広場:宮沢賢治のユートピア


宮沢賢治には、生前に発表した「グスコーブドリの伝記」を始め、「ポラーノの広場」、「風の又三郎」、「銀河鉄道の夜」を含めて比較的長編の童話が四篇ある。賢治自身これら四篇を少年小説あるいは長編として一括りにしていた。自作の中でも特別な位置づけを付していたことが推測される。

これら四篇の作品はいづれも、ただ長いというだけでなく、賢治が生涯こだわり続けていたいくつかのモチーフが集約されて盛り込まれている。賢治はそれらのモチーフを詩や短編の中で、折りに触れて提示してきたといえるのであるが、これらの長編の中では、それを体系的に展開したと位置づけることが出来る。

「ポラーノの広場」で展開されているモチーフはユートピアとは何かという問いである。賢治は若い頃から自分なりのユートピア観を持っていた。彼の童話のモットーとしてのイーハトーブ自体が、理想的な土地としてのユートピアの現れであるし、若い頃から帰依していた法華経も究極の理想郷としてのユートピアを賛美するものだった。また妹トシの魂の行方を訪ね求める過程で、彼女が生まれ変わったところこそユートピアに違いないという確信を抱くに到った。ある意味で賢治の生涯は、ユートピアを追い求める旅のようなものだったのである。

「ポラーノの広場」で発見されるユートピアは逆説的なものである。ユートピアとは英語で Nowhere というとおり、どこにもない土地という意味だ。どこにもないということは、少なくとも自分が生きているこの現実の世界の中にはないということを意味する。

だからといって、別な世界での存在を含めて、可能性としても存在しえないということにはならない。それはどこかにはあるのかもしれない。いやあるに違いない。その信念を人が抱くとき、そこにユートピアの観念が現実性を帯びる。

この小説に出てくる少年たちは、そんな信念に忠実なのである。彼らは、ユートピアはきっとどこかに存在するに違いないという信念を抱いて、ユートピアを探す。それは彼らが現実に生きている世界の生活とは、別の次元のリズムにしたがっているはずだ。なぜならユートピアとは、惨めな現実生活のアンチテーゼなのだから。

彼らは、心の耳ともいうべきものに導かれて、ついにそのユートピアにたどり着いたと感じる。それは彼らの生活空間の延長上に見つかったのだが、現実の空間とは別のもののように感じられた。そこはいわばエアポケットのようなもので、現実の世界とは違うリズムが支配しているはずだ。ひとはそこで、この世の秩序とは異なったリズムにしたがって生きることが出来るはずだ。

だがこうした彼らの期待は見事に裏切られる。彼らが迷い込んだ「ポラーノの広場」は、ユートピアどころか、人間のどろどろとした欲望が渦巻く現実世界そのものの圧縮された空間なのであった。

彼らはこの醜い現実空間の論理に従って、現実世界そのものからも逃走せざるを余儀なくされる。

こうして主人公の少年は、いったんは現実世界から逃走する。だが再びポラーノの広場に戻ってきた少年は、そこで労働の共同体を形成しようとし始める。少年と彼の友達は労働を通じて堅固な絆を結び、生きる喜びを発見していく。

実はこのなかにこそユートピアはあったのだ。ユートピアとはこの世ならぬところに、しかも他力本願によって求めるものではなく、この世の中で、自分たちの努力で築き上げるものなのだ、少年たちは最後にそう悟るに到る。ポラーノの広場は友愛の広場である限りにおいて、ユートピアである得たのだ。

ユートピアとは、人々の心の中にある。これがこの作品にこめた賢治なりのメッセージだといえる。

さて、この作品は、前十七等官レオーノ・キューストが語ったところを、宮沢賢治が訳述したという体裁をとっている。書き出しの部分は次のようである。

<そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。
 十八等官でしたから役所のなかでも、ずうっと下の方でしたし俸給(ほうきゅう)もほんのわずかでしたが、受持ちが標本の採集や整理で生れ付き好きなことでしたから、わたくしは毎日ずいぶん愉快にはたらきました。殊にそのころ、モリーオ市では競馬場を植物園に拵(こしら)え直すというので、その景色のいいまわりにアカシヤを植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたまま、わたくしどもの役所の方へまわって来たものですから、わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって、その番小屋にひとり住むことになりました。わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきいをつけて一疋の山羊を飼いました。毎朝その乳をしぼってつめたいパンをひたしてたべ、それから黒い革のかばんへすこしの書類や雑誌を入れ、靴もきれいにみがき、並木のポプラの影法師を大股にわたって市の役所へ出て行くのでした。
 あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。
 またそのなかでいっしょになったたくさんのひとたち、ファゼーロとロザーロ、羊飼のミーロや、顔の赤いこどもたち、地主のテーモ、山猫博士のボーガント・デストゥパーゴなど、いまこの暗い巨きな石の建物のなかで考えていると、みんなむかし風のなつかしい青い幻燈のように思われます。では、わたくしはいつかの小さなみだしをつけながら、しずかにあの年のイーハトーヴォの五月から十月までを書きつけましょう。>

キューストのいうとおり、物語は「逃げた山羊」、「つめくさのあかり」、「ポラーノの広場」、「警察署」、「センダードの毒蛾」といった見出しにそって、時系列で進んでいく。

キューストは逃げた山羊を捜し求めて歩くうちに、ファゼーロという少年に出会い仲良くなる。ファゼーロは平原のなかのどこから素敵な音楽が聞こえてくることを語り、そこがユートピアに違いないという期待を打ち明ける。キューストとファゼーロは根気よく音楽の聞こえてくる場所を探し続けるが、あるときついにその場所を見つけ出す。ポラーノの広場だ。

そこでは大人たちが宴会を開いていた。ファゼーロが聞いた音楽はこの宴会の音だったのだ。しかしその宴会は山猫博士のデストゥパーゴが選挙運動を目当てに開いていたものだった。

ファゼーロははずみからデストゥパーゴと決闘をする羽目になり、デストゥパーゴをやっつけてしまう。デストゥパーゴは有力者だから、ファゼーロはそのままではすまない。そこで彼は身を隠してセンダードの町に逃げ、そこでしばらくの間仕事の修行をする。

突然ファゼーロが姿を消してしまったので、キューストは、ファゼーロがデストゥパーゴに殺されたのではないかと疑うが、センダードへの出張から戻ってくるとファゼーロが訪ねてくる。ファゼーロは今ではあのポラーノの広場で作業場を立ち上げ、そこで友人たちと一緒に労働の共同体を作り上げようとしているのだった。それがユートピアに他ならないことは、上述したとおりである。

クライマックスは、キューストと子どもたちが自分たちの手で理想的な「ポラーノの広場」を作ろうと誓う部分である。それが彼らにとってのほんとのユートピアになるようにと。

<「そうだ、ぼくらはみんなで一生けん命ポラーノの広場をさがしたんだ。けれども、やっとのことでそれをさがすと、それは選挙につかう酒盛りだった。けれども、むかしのほんとうのポラーノの広場はまだどこかにあるような気がしてぼくは仕方ない。」
「だからぼくらは、ぼくらの手でこれからそれを拵えようでないか。」
「そうだ、あんな卑怯な、みっともない、わざとじぶんをごまかすような、そんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えば、もう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて面白いような、そういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」
「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから。」
「何をしようといってもぼくらはもっと勉強しなくてはならないと思う。こうすればぼくらの幸になるということはわかっていても、そんならどうしてそれをはじめたらいいか、ぼくらにはまだわからないのだ。町にはたくさんの学校があって、そこにはたくさんの学生がいる。その人たちはみんな一日一ぱい勉強に時間をつかえるし、いい先生は覚えたいくらい教えてくれる。ぼくらには一日に三時間の勉強の時間もない。それも大ていはつかれてねむいのだ。先生といったら講義録しかない。わからないところができて質問してやってもなかなか返事が来ない。けれどもぼくたちは一生けん命に勉強して行かなければならない。ぼくはどうかしてもっと勉強のできるようなしかたをみんなでやりたいと思う。」
 その子どもは坐りました。
 わたくしは思わずはねあがりました。
「諸君、諸君の勉強はきっとできる。きっとできる。町の学生たちは仕事に勉強はしている。けれども何のために勉強しているかもう忘れている。先生の方でもなるべくたくさん教えようとして、まるで生徒の頭をつからしてぐったりさしている。そしてテニスだのランニングも必要だと云って盛んにやっている。諸君はテニスだの野球の競争だなんてことはやらない。けれども体のことならもうやりすぎるくらいやっている。けれどもどっちがさきに進むだろう。それは何といっても向うの方が進むだろう。そのときぼくらはひどい仕事をしたほかに、どうしてそれに追い付くか。さっき諸君の云う通りだ。向うは何年か専門で勉強すればあとはゆっくりそれでくらして、酒を呑んだりうちをもったり、だんだん勉強しなくなる。こっちはいつまでもいまの勢で一生勉強して行くのだ。
 諸君、酒を呑まないことで酒を呑むものより一割余計の力を得る。たばこをのまないことから二割余計の力を得る。まっすぐに進む方向をきめて、頭のなかのあらゆる力を整理することから、乱雑なものにくらべて二割以上の力を得る。そうだあの人たちが女のことを考えたり、お互の間の喧嘩のことでつかう力をみんなぼくらのほんとうの幸をもってくることにつかう。見たまえ、諸君はまもなくあれらの人たちへくらべて倍の力を得るだろう。けれどもこういうやりかたをいままでのほかの人たちに強いることはいけない。あの人たちは、ああいう風に酒を呑まなければ、淋しくて寒くて生きていられないようなときに生れたのだ。
 ぼくらはだまってやって行こう。風からも光る雲からも諸君にはあたらしい力が来る。そして諸君はまもなくここへ、ここのこの野原へむかしのお伽噺(とぎばなし)よりもっと立派なポラーノの広場をつくるだろう。>

この作品が、賢治の理想を述べたというだけでなく、彼自身の実践を踏まえていることは確かだ。賢治は農学校の教師を辞めた後、ラス地人協会を作って、そこを舞台に理想的な共同体を作り上げる実践をした。結果は不本意なものに終わったが、そこで賢治が掲げた理想は、まさしく地上にユートピアを築き上げようとすることだったのである。





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