宮沢賢治の世界
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真空溶媒 :宮沢賢治「春と修羅」


「春と修羅」の中の一篇「真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen) 」は、いろいろな意味で宮沢賢治らしさが強く現れている作品だ。まず副題に、ドイツ語で「朝の幻想」とあるとおり、これは賢治の性癖であった幻想がテーマになっている。

次にその幻想の展開が物語風に描かれていることだ。賢治の詩の著しい特徴として、自分の体験や思考過程を継時的に描くということがあげられる。それは時には物語と見分けのつかないようなものになる。賢治の童話は詩のようだといわれるが、それを逆に受け取れば、詩が物語のようだともいえるのだ。

この物語詩は、賢治自身と目される語り手が、朝まだきの野原を颯爽と散歩に出るところから始まる。季節は春の初め、野原には日の光があふれ、命の芽吹きがいたるところに噴出している。

  融胴はまだ眩めかず
  白いハロウも燃えたたず
  地平線ばかり明るくなつたり陰つたり
  はんぶん溶けたり澱んだり
  しきりにさつきからゆれてゐる
  おれは新らしくてパリパリの
  銀杏なみきをくぐつてゆく
  その一本の水平なえだに
  りつぱな硝子のわかものが
  もうたいてい三角にかはつて
  そらをすきとほしてぶらさがつてゐる
  けれどもこれはもちろん
  そんなにふしぎなことでもない
  おれはやつぱり口笛をふいて
  大またにあるいてゆくだけだ

融胴は太陽が地平線から顔を出したときのまぶしい輝きをいう。空に広がる雲にはハロウ(日暈)がまだかかっていない。地平線の辺りだけが明るくなったり暗くなったりしてゆれている。まだ完全に日が昇っていないのだ。

語り手はパリパリの銀杏並木を歩いていく。その枝にはガラスの若者、つまり青く透き通るような若芽が飛び出て、枝からぶら下がっている。賢治はそれを横目に、大股で歩き続ける。

  いてふの葉ならみんな青い
  冴えかへつてふるえてゐる
  いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき
  白い輝雲のあちこちが切れて
  あの永久の海蒼がのぞきでてゐる
  それから新鮮なそらの海鼠の匂
  ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた
  こんなににはかに木がなくなつて
  眩ゆい芝生がいつぱいいつぱいにひらけるのは
  さうとも 銀杏並樹なら
  もう二哩もうしろになり
  野の緑青の縞のなかで
  あさの練兵をやつてゐる

イチョウの連なる景色はアルコールビンの中をみるようだ。なぜアルコールビンなのか。賢治には地上を海の底にたとえる癖があって、海底はアルコールの満ちたビンの中のようだとするイメージがあった。それがここに現れているのだ。

空は海のように青い、そこからはウニの匂いが零れ落ちてくる。そうこうするうち、銀杏並木を遠く行き過ぎる。

  うらうら湧きあがる昧爽のよろこび
  氷ひばりも啼いてゐる
  そのすきとほつたきれいななみは
  そらのぜんたいにさへ
  かなりの影きやうをあたへるのだ
  すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けてたうたういまは
  ころころまるめられたパラフヰンの団子になつて
  ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ

昧爽の世界はまさに海の底なのだ。海の底で聞こえるひばりの声は、波のように伝播する。雲は青い虚空に溶けて、パラフィンの団子になってしまった。

  地平線はしきりにゆすれ
  むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
  うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
  あるいてゐることはじつに明らかだ
  (やあ こんにちは)
  (いや いゝおてんきですな)
  (どちらへ ごさんぽですか
      なるほど ふんふん ときにさくじつ
      ゾンネンタールが没くなつたさうですが
      おききでしたか)
  (いゝえ ちつとも
      ゾンネンタールと はてな)
  (りんごが中(あた)つたのださうです)
  (いんご ああ なるほど
      それはあすこにみえるりんごでせう)

ゆれる地平線の彼方から、鼻のあかい灰いろの紳士が、うまぐらゐあるまつ白な犬をつれてやってきた。賢治の幻想の始まりだ。その紳士は賢治に向かって、ゾンネンタールという男が、リンゴにあたって死んだという。ゾンネンタールとは、太陽の光の谷という意味のドイツ語だ。

  はるかに湛える花紺青の地面から
  その金いろの苹果の樹が
  もくりもくいと延びだしてゐる
  (金皮のまゝたべたのです)
  (そいつはおきのどくでした
      はやく王水をのませたらよかつたでせう)
  (王水 口をわつてですか
      ふんふん なるほど)
  (いや王水はいけません
      やつぱりいけません
      死ぬよりしかたなかつたでせう
      うんめいですな
      せつりですな
    あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)
  (えゝえゝ もうごくごく遠いしんるいで)

二人はゾンネンタールの噂話を続ける。語り手である賢治はゾンネンタールなどいままでその名も聞いたこともなかったのに、昔からの知人であるかのように錯覚する。

  いつたいなにをふざけてゐるのだ
  みろ その馬ぐらゐあつた白犬が
  はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
  いまではやつと南京鼠のくらゐにしか見えない
  (あ わたくしの犬がにげました)
  (追ひかけてもだめでせう)
  (いや あれは高価いのです
      おさへなくてはなりません
      さよなら)

そんな自分を語り手は、なにをふざけているのかと反省したりもするが、それ以上追求することはない。なにしろ半ば幻想に取り付かれているからだ。

そのうち馬のように大きな犬が逃げ出した。紳士はその犬を追いかけようとするが、語り手は無駄だといって引き止める。

  苹果の樹がむやみにふえた
  おまけにのびた
  おれなどは石炭紀の鱗木のしたの
  ただいつぴきの蟻でしかない
  犬も紳士もよくはしつたもんだ
  東のそらが苹果林のあしなみに
  いつぱい琥珀をはつてゐる
  そこからかすかな苦扁桃の匂がくる

気がつくと、リンゴの木がむやみに増えている。しかも巨木となって語り手を囲み、語り手は自分を石炭紀の鱗木の下の一匹の蟻に過ぎないと感じる。

  すつかり荒んだひるまになつた
  どうだこの天頂の遠いこと
  このものすごいそらのふち
  愉快な雲雀もたうに吸ひこまれてしまつた
  かあいさうにその無窮遠の
  つめたい板の間にへたばつて
  痩せた肩をぶるぶるしてるにちがひない

すっかり朝は過ぎて、太陽が天頂高く差し掛かった。その天頂のものすごい淵に、ひばりたちが吸い込まれ、ぶるぶると震えている。

  もう冗談ではなくなつた
  画かきどものすさまじい幽霊が
  すばやくそこらをはせぬけるし
  雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる
  それからけわしいひかりのゆきき
  くさはみな褐藻類にかはられた
  こここそわびしい雲の焼け野原
  風のヂグザグや黄いろの渦
  そらがせわしくひるがへる
  なんといふとげとげしたさびしさだ

もう冗談ではなくなった。語り手の幻想はますます力を増し、語り手のいる世界は地獄へと変る。そこでは昔の絵描きが描いたおどろおどろしい幽霊たちが闊歩しているのだ。

  (どうなさいました 牧師さん)
  あんまりせいが高すぎるよ
  (ご病気ですか
      たいへんお顔いろがわるいやうです)
  (いやありがたう
      べつだんどうもありません
      あなたはどなたですか)
  (わたくしは保安掛りです)
  いやに四かくな背嚢だ
  そのなかに苦味丁幾(ちんき)や硼酸や
  いろいろはいつてゐるんだな

恐ろしさのあまり気を失った語り手は、ある男から声をかけられる。その男は自ら保安係だと名乗る。警察官という意味だろうか。

  (さうですか
      今日なんかおつとめも大へんでせう)
  (ありがたう
      いま途中で行き倒れがありましてな)
  (どんなひとですか)
  (りつぱな紳士です)
  (はなのあかいひとでせう)
  (さうです)
  (犬はつかまつてゐましたか)
  (臨終にさういつてゐましたがね
      犬はもう十五哩もむかふでせう
      じつにいゝ犬でした)
  (ではあのひとはもう死にましたか)
  (いゝえ露がおりればなほります
      まあちよつと黄いろな時間だけの仮死ですな
  ううひどい風だ まゐつちまふ)

保安係は先ほど見かけたという赤い鼻の紳士のことを物語る。紳士はいったんは死んだが、ほんとには死んではおらず、いづれ霧が降りれば生き返るだろうと告げる。完全に幻想の世界のやりとりだ。風が強く吹いてくる。

  まつたくひどいかぜだ
  たほれてしまひさうだ
  砂漠でくされた駝鳥の卵
  たしかに硫化水素ははいつてゐるし
  ほかに無水亜硫酸
  つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
  しやうとつして渦になつて硫黄華ができる
      気流に二つあつて硫黄華ができる
         気流に二つあつて硫黄華ができる

強い風に打たれ、語り手はまたもや失神する。その間際の幻想に、ダチョウの腐った卵から硫化水素がもれだし、それが無水亜硫酸と融合して硫黄の花ができるところを夢見る。

  (しつかりなさい しつかり
      もしもし しつかりなさい
      たうたう参つてしまつたな
      たしかにまゐつた
      そんならひとつお時計をちやうだいしますかな)
  おれのかくしに手を入れるのは
  なにがいつたい保安掛りだ
  必要がない どなつてやらうか
               どなつてやらうか
                 どなつてやらうか
                   どなつ・・・・・

失神した語り手から、保安係が時計を盗もうとする。それを察した語り手は腹をたてるが、どうすることもならない。

  水が落ちてゐる
  ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ
  悪い瓦斯はみんな溶けろ
  (しつかりしなさい しつかり
      もう大丈夫です)
  何が大丈夫だ おれははね起きる
  (だまれ きさま
      黄いろな時間の追剥め
      飄然たるテナルデイ軍曹だ
      きさま
      あんまりひとをばかにするな
      保安掛りとはなんだ きさま)

そのうち雨が降ってきて、悪いガスを全部洗い流してくれたおかげで、語り手は息を吹き返す。語り手は保安係を口汚く罵る。

  いゝ気味だ ひどくしよげてしまつた
  ちゞまつてしまつたちいさくなつてしまつた
  ひからびてしまつた
  四角な背嚢ばかりのこり
  たゞ一かけの泥炭になつた
  さまを見ろじつに醜い泥炭なのだぞ
  背嚢なんかなにを入れてあるのだ
  保安掛り じつにかあいさうです
  カムチヤツカの蟹の罐詰と
  陸稲の種子がひとふくろ
  ぬれた大きな靴が片つ方
  それと赤鼻紳士の金鎖

罵られた保安係はだんだん小さくなって、しまいにはひとかけらの泥炭になってしまった。あとには蟹の缶詰やら赤鼻紳士の金鎖の入った背嚢がのこされただけだ。

  どうでもいゝ 実にいゝ空気だ
  ほんたうに液体のやうな空気だ
  (ウーイ 神はほめられよ
      みちからのたたふべきかな
      ウーイ いゝ空気だ)
  そらの澄明 すべてのごみはみな洗はれて
  ひかりはすこしもとまらない
  だからあんなにまつくらだ
  太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
  おれは数しれぬほしのまたたきを見る
  ことにもしろいマヂェラン星雲
  草はみな葉緑素を恢復し
  葡萄糖を含む月光液は
  もうよろこびの脈さへうつ

甦った語り手にとって、世界はじつによい空気で包まれている。だがなぜかそれは液体のような空気なのだ。空には太陽が回っているのにかかわらず、液体の底は夜のように暗い。

  泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる
  (もしもし 牧師さん
   あの馳せ出した雲をごらんんあさい
      まるで天の競馬のサラアブレツドです)
  (うん きれいだな
      雲だ 競馬だ
      天のサラアブレツドだ 雲だ)
  あらゆる変幻の色彩を示し
  あらゆる変幻の色彩を示し
  ・・・・もうおそい ほめるひまなどない

不思議なことに泥炭がなにかぶつぶつと言い出した。空を駆け走ってくる天の競馬馬のことを話しているのだ。

  虹彩はあはく変化はゆるやか
  いまは一むらの軽い湯気になり
  零下二千度の真空溶媒のなかに
  すつととられて消えてしまふ
  それどこでない おれのステツキは
  いつたいどこへ行つたのだ
  上着もいつかなくなつてゐる
  チヨツキはたつたいま消えて行つた
  恐るべくかなしむべき真空溶媒は
  こんどはおれに働きだした
  まるで熊の胃袋のなかだ
  それでもどうせ質量不変の定律だから
  べつにどうにもなつてゐない
  といつたところでおれといふ
  この明らかな牧師の意識から
  ぐんぐんものが消えて行くとは情ない

なにもかも不思議な幻想の世界で、語り手は自分も真空溶媒に絡みとられ、着ているものが消えたり、熊の胃袋のなかにいるような感じを味わう。だが語り手は物理学の法則を思い出して、どうせ質量は保存されるのだから、おれがこの世から消えることはなく、形を変えて生き変るのだと自分を慰める。

  (いやあ 奇遇ですな)
  (おお 赤鼻紳士
      たうたう犬がおつかまりでしたな)
  (ありがたう しかるに
      あなたは一体どうなすつたのです)
  (上着をなくして大へん寒いのです)
  (なるほど はてな
      あなたの上着はそれでせう)
  (どれですか)
  (あなたが着ておいでになるその上着)
  (なるほど ははあ
      真空のちよつとした奇術ですな)
  (えゝ さうですとも
      ところがどうもおかしい
      それはわたしの金鎖ですがね)
  (えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です)
  (ははあ 泥炭のちよつとした奇術ですな)
  (さうですとも
      犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)
  (なあにいつものことです)
  (大きなもんですな)
  (これは北極犬です)
   (馬の代りには使へないんですか)
  (使へますとも どうです
      お召しなさいませんか)
  (どうもありがとう
      そんなら拝借しますかな)
  (さあどうぞ)

そこへ突然赤鼻の紳士が現れた。紳士は馬のように大きな犬を連れている。それは北極犬なのだという。語り手はその犬を貸してもらって、馬の変わりにして、この世まで、つまり普通の世界まで、乗って逃げたいと思うのだ。

  おれはたしかに
  その北極犬のせなかにまたがり
  犬神のやうに東へ歩き出す
  まばゆい緑のしばくさだ
  おれたちの影は青い砂漠旅行
  そしてそこはさつきの銀杏の並樹
  こんな華奢な水平な枝に
  硝子のりつぱなわかものが
  すつかり三角になつてぶらさがる

こうして語り部は犬の背中にまたがって、もとの世界に戻ることができた。下の世界ではイチョウの枝から、さっき見たばかりの、青い若芽が垂れ下がっていた。

以上が詩全体の注釈だ。改めて整理すると、この物語詩は大きく三つの部分からなっている。最初の部分では、賢治は朝のさわやかな空気のなかを、のびのびとした気分で散歩に出かける。目に映る風景は、自然の息吹にみちたみずみずしい世界だ。

第二の場面では、賢治の周りの風景画突然変化し、それとともに賢治の意識も平衡を失って、まるで地獄にいるかのような恐ろしい感じにとらわれる。

第三の場面では、犬を連れた赤鼻と出会うことによって、意識が平衡を取り戻す。自然は再びみずみずしさを感じさせるようになる。そこで賢治は赤鼻の紳士から大きな犬を借り、その背中にのってもとの世界へと戻ってくる。その世界にはたったいまさっき見たままの風景が展開していた。

ポイントになるのは第二の場面だ。ここで賢治は幻想の中でこの世とは違う世界に行った。面白いのは、それが風景の変化に伴って突然に起こることだ。何の前触れもなく、また行った先の世界がどんな世界なのか、直接には語られていない。そのなかのイメージから、それが地獄かあるいはこの世と断絶した異次元の世界であることは伺える。これはシャーマンが憑霊となって、あの世を訪問するのとよく似ている。

そんなところから、賢治はこの詩の中で、異界訪問の物語を展開したのではないか、そんな風にも受け取れる。

次にこの異界から犬の背中にまたがってもとの世界に戻ってくるという着想も大きなポイントになる。犬は冥界の使者としてイメージされることがある。リグ・ヴェーダにあるのがその例だという。犬神はしたがってこの世とあの世との間を往復する特別のものなのだ。賢治はそれを踏まえてこの場面を導入したのかもしれない。

宮沢賢治が時折幻想にとらわれたことについては、他の作品からも類推できる。それが本当の幻想あるいは幻覚であったか、または賢治の想像力がもたらした空想であったか、そこのところはよくわからない。だがいづれにしても幻想は、賢治の作品の中で不可欠の要素だったとはいえると思う。



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